平行普通列車

常磐線と新京成に魅せられた者のブログです

(鉄道の)素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない、とは?

鉄道の素晴らしさ=鉄道は「やばい」という表現についての話です

「推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない―自分の言葉でつくるオタク文章術」(三宅香帆著)という書籍があります。

最近、この書名に倣った鉄道ブログを見かけるようになりました。

 

鉄道のニュースや情報を知る際のウェブサイトの一つとして、Merkmal(メルクマール)を日々、拝読させていただいているところです。

Merkmalでは時折、この書名に倣ったテーマ名が使われています。

具体的には、2024年7月11日現在で、鉄道以外の乗り物テーマも含め、「リレー連載 偏愛の小部屋」というシリーズで、以下のような事例があります。

〇 青春18きっぷの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない【リレー連載】偏愛の小部屋(1)2024.6.11

〇 小田急ロマンスカーの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない【リレー連載】偏愛の小部屋(2)2024.6.15

〇 軽トラックの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない【リレー連載】偏愛の小部屋(3)2024.6.25

〇 昼行高速バスの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない【リレー連載】偏愛の小部屋(4)2024.6.30

〇 直列6気筒エンジンの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない【リレー連載】偏愛の小部屋(5)2024.7.3
〇 京成モーニング・イブニングライナーの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない【リレー連載】偏愛の小部屋(6)2024.7.6

〇 廃線跡の素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない【リレー連載】偏愛の小部屋(6)2024.7.9

 

それぞれの本文でも「やばい」の言葉は使われています。

一例として、2024年7月6日付の、「京成モーニング・イブニングライナーの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない【リレー連載】偏愛の小部屋(6)」を見てみたいと思います。

 

まず、見出し項目は、以下のようになっています。

やばいポイント1「最安水準の料金」
やばいポイント2「パソコン作業環境」
やばいポイント3「1か月乗り放題」
やばいポイント4「車窓風景」

 

次に、本文で象徴的な文章を引用させていただきます。

 

(以下引用)

モーニングライナーイブニングライナーを「やばい!」と考える四つのポイントを紹介したい。

~中略~
特急定期券を廃止する鉄道事業者もあるなかで、何と太っ腹なのだろうか。筆者的には「やばい!」しかでてこないのである。
~中略~

実際に乗車してみて、モーニングライナーには、これまでに見てきた三つのやばいポイントに加えて、もうひとつあることに気づいた。
~中略~

モーニングライナーイブニングライナーには、1か月乗り放題の定期券がある。筆者としては、この点を一番「やばい!」ポイントに認定したい。
~中略~

実際に乗車してみて、モーニングライナーには、これまでに見てきた三つのやばいポイントに加えて、もうひとつあることに気づいた。

~中略~
京成モーニングライナーイブニングライナーの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない。皆さんが感じる“やばさ”があったらぜひ聞かせてほしい。

(以上引用)

 

冒頭の、「『やばい!』と考える四つのポイントを紹介したい。」と、最後の、「〇〇の素晴らしさを語りたいのに『やばい!』しかでてこない。皆さんが感じる“やばさ”があったらぜひ聞かせてほしい。」については、この【リレー連載】偏愛の小部屋シリーズでの定型的なものです。

他の回でもこの2つの表現は用いられており、編集方針として毎回決められているものと察します。

そのほかの本文箇所で「やばい」が使われているのは著者自身の意思と思います。

 

さて、冒頭の「推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない」という書籍名、先ほどの「京成モーニング・イブニングライナーの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない」というテーマ名で、意味は伝わっているのでしょうか。

自分は中身を読むまで意味はわかりませんでした。

つまり「京成モーニング・イブニングライナーの素晴らしさを語りたいのに「素晴らしい!」しかでてこない」ということでした。

 

この偏愛の小部屋シリーズで、「やばい!」とは、素晴らしい、見事さ、楽しさ、ありがたさといった意味で使われていると思われます。

「京成モーニング・イブニングライナーの素晴らしさを語りたいのに「素晴らしい!」しかでてこない」ではインパクトや面白みがないので、人気書名にあやかって「やばい!しかでてこない」という見出しにしているかと察します。

 

もう一つの「やばい」の使い方事例

一方、Merkmalでは次のような「やばい」のテーマもありました。

〇 「足立区 = ヤバい地域」なんて、まだ本気で思ってるの? 改善データを見れば一目瞭然、あの“人気バラエティー番組”の功罪と現実 2024.6.9 
〇 物流危機の2024年問題、結局「何がヤバいのか?」を誤解してる人が多過ぎだ 2023.9.27
〇 日本の交通を破壊する「走行距離税」 クルマ社会・物流企業を直撃、自民・三原じゅん子氏も「課税はやばいよ」の心情か 2022.11.6
〇 「告げ口されたらヤバい」 タクシー運転手たちが思わず震え上がる公益財団法人の実態 2022.3.19

 

この場合は、鉄道での「やばい」とは異なり、本来の?使い方と見受けます。

 

素晴らしいを「やばい!」という言葉で言い換える必要性とは

話は戻りますが、鉄道の魅力を伝える意味では偏愛の小部屋シリーズは良いと思います。

ただ、その魅力や素晴らしさを「やばい!」という言葉に言い換える表現の多用に、自分には違和感を感じます。

 

一般論ですが、書籍やブログ等で「やばい!」のほかにも、やべっ、めちゃめちゃ、めちゃくちゃ、めっちゃ、じゃん、などの言葉を、見出しや本文中でやたらに多用したものも見受けます。

日常会話では使っている現実はあるにしても、少なくとも自分は途中から読む意欲が薄れてきて、最終的には読むのを打ち切ります。

 

話し言葉=文章言葉ではない

文章の気品、品格とまでは言わないまでも、話し言葉をそのまま文章表現に使うのは、好ましくない場合もあると思います。

最近では「とても」「かなり」「相当」といった形容詞が使われなくなりましたが、第三者に読んでいただくことを想定すれば、そうした文章表現上の配慮は必要かと思いますが、考え方が古すぎるでしょうか。

素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない、という見出しが読者を引き寄せるという編集方針で、それは時代とともに、時代に合わせて変わっていくということならば、それを受け入れられない人は時代に乗り遅れているだけということになるでしょうか。

「やばい」で表現したテーマ名など、別に目くじらを立てるほどのものではない、取るに足らないと一蹴されて終わりとすれば、言葉の乱れはあまり良くない方向にいくように感じました。

 

全般的に上から目線の書き方になりましたがその点、ご容赦ください。

 

(※ 筆記にあたり、Merkmal、2024年7月6日付け、「京成モーニング・イブニングライナーの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない【リレー連載】偏愛の小部屋(6)」を中心に、【リレー連載】偏愛の小部屋シリーズから一部を引用及び参考にさせていただきました。)