平行普通列車

常磐線と新京成に魅せられた者のブログです

青春18きっぷ吾妻・横川・八高・川越4路線鈍行旅行録(その2)

今回は吾妻線高崎-大前の旅行記です

昨日の鈍行旅行録の続編です。

高崎線電車内でのLED表示案内情報から、吾妻線は8時30分頃までは大雨の影響があるとの情報が流れていました。

高崎到着後、8時53分発大前行きの運転について駅員さんに確認したところ、予定どおり走る見込みだが、雨の状況によっては遅れ等が生じることもあるとのことでした。

現在の高崎は曇り時々晴れで、ネットによる現地の気象情報でも雨は収まったようでした。

211系4両編成で定刻に高崎を発車し、渋川までは乗車率70%前後の印象でした。

中間1両の弱冷房車だけは猛暑のためか、半分の席は空いていました。

 

乗車率50%前後になって渋川から吾妻線に入りました。

最初の停車駅の金島は、上越新幹線の高架橋がそびえる地点にあります。

吾妻線上越新幹線の列車とが同時交差するのは稀です。

上越新幹線列車の方から吾妻線の線路が見られるのは一瞬で、見過ごしてしまう時があります。

 

小野上は、駅の脇の山からの砕石を輸送する工事列車があります。

高崎付近に停車中の貨車で「小野上駅常備」の表記を見ることがあります。

小野上の次の駅は小野上温泉ですが、温泉の付く駅名と付かない駅名とが隣り合っているのは珍しいケースです。

ちなみに、後から温泉の文字を追加したケースは、七尾線和倉、山陰線城崎、佐世保線武雄、羽越線温海、奥羽線上ノ山、中央線石和、陸羽東線鳴子など、いくつもの事例があります。

吾妻線川原湯温泉駅も1991年までは川原湯駅でした。

 

中之条は特急「草津・四万」の吾妻線内唯一の途中停車駅だけあって乗降が多く、賑わいが感じられました。

 

吾妻線の列車交換駅のホーム先端で「7 651」の標識が目につきます。

かつての常磐線「スーパーひたち」用651系7両基本編成が吾妻線に転用された際の、停止位置の名残りです。

 

岩島駅に到着します。

岩島-長野原草津口は、八ッ場ダムに伴って2014年から新線に切り替わった区間で、すでに10年経過したとは光陰矢の如しです。

旧線時代は日本一短かった全長7.2mの樽沢トンネルが有名で、我妻渓谷が眺められました。

今はこの樽沢トンネルを含めた廃線跡の一部、約1.6 kmを吾妻峡レールバイク「アガッタン」として乗ることができます。

岩島で下車した人はわずかで、アガッタンに乗りに行きそうな雰囲気ではないように感じました。

今回の旅行出発前に、JR東日本主要駅に配架のパンフレット「ゆのたび 吾妻 はしご Re:fresh!」でもアガッタンや旧線跡のことには触れていませんでした。

 

岩島を発車すると右側へ分かれる旧線跡があるはずですが、判別できませんでした。

長いトンネル区間に入ると高速運転になり、吾妻線全体の速度イメージとは異質の区間です。

高速運転で時間短縮されるのはよいとして、車窓が暗闇に変わってしまいました。

 

長いトンネルの間に挟まれた川原湯温泉駅は、元の駅の位置から南西へ1.5㎞離れ、標高70メートル高い位置になり、駅も近代的になりました。

川原湯温泉駅前はキャンプ場一色の印象でした。

 

再びトンネルを抜けて長野原草津口に入る手前、右側から旧線が寄ってきますが、旧線の架線柱が一部に残っているため発見しやすい跡地です。

長野原草津口でほとんどの人が下車しました。

長野原草津口-大前間は、2023年度の一日平均通過人員260人で、JR東日本が地元と今後のあり方等について協議している区間であることを実感させられます。

(参考までに、渋川-長野原草津口は2,468人です。)

長野原草津口右側を見ていると、1971年に廃止された太子支線跡の橋梁が見えます。

 

羽根尾は1982年まで貨物取り扱いがあり、4線あった貨物列車用線路は撤去されていますが、幅広い架線柱と路盤は残っています。

 

万座・鹿沢口の駅名は、万座と鹿沢が互いに駅名を譲らないため両方の名称を入れたもので、北海道新幹線新函館北斗を思い起こします。

1面2線にできるスペースがありますが1線のみの線路配置で、特急発着がなくなり、路線存続議論に含まれている状況下では2線化の実現はなさそうです。

 

吾妻線最後の万座・鹿沢口-大前の区間になりました。

これまでの吾妻線の車窓ととくには変わらない印象のまま、4分で大前に到着しました。

大前駅前は更地が多く見受けられましたが、以前は住宅や入浴場などがあったように思いました。

大前駅では本来、9分後の折り返しですが、午前の大雨による徐行運転等で、折り返し時間は5分弱となりました。

大前まで乗ってきた人のうち一人だけは別の方向へ歩いていきましたが、ほかの約10人前後の乗客はそのまま折り返し列車で渋川方向へ戻っていきました。

大前からの帰路では睡魔に襲われた人が多いようでした。

 

大前駅は、ホームが4両分の長さであっても、行き止まりの線路は7両編成の特急スペース分まで延びていて、万座・鹿沢口止まり列車の待避、滞泊の役割を兼ねています。

いわば、万座・鹿沢口からやや離れた同駅の構内引き込み線のような行き止まり線路です。

かつての信越線(現しなの鉄道豊野駅まで延ばす計画の、ごく一部の完成区間の名残りとなっています。

ところで、大前で列車を夜間に滞泊させた後、乗務員の方々は大前で泊っているのでしょうか。

それとも万座・鹿沢口まで車で戻っているのでしょうか。

また、翌朝は万座・鹿沢口から車で送られてくるのでしょうか。

 

列車からの前面展望ができない吾妻線

以下は吾妻線列車での感想です。

高崎-渋川は運転席背後からの前面展望ができましたが、吾妻線内では3枚ある仕切り窓は全部カーテンが下ろされ、前が見えなくなります。

他社の一例として、JR西日本湖西線などを見ると、基本としてカーテンは下げず、トンネル手前の停車駅でカーテンを下げ、トンネルのない区間に戻ったら最寄り駅で再びカーテンを上げる、乗客本位のこまめなカーテン上下の配慮がありましたが、吾妻線にこのような配慮を望んでも無理でしょうか。

 

列車内に吾妻線の路線図掲示

列車内の乗降ドア付近に、首都圏近郊の電車路線図がありますが、吾妻線の路線図がありません。

211系で運用する吾妻線両毛線上越線信越線高崎-横川の路線図の掲示が必要です。

 

透明窓ガラスの車窓は安心

吾妻線は211系電車ですが、透明ガラスでの車窓には安心します。

仮に、近年投入の目立つE131系や、首都圏のE231系E233系の余剰車が吾妻線に回ってきたら車窓は緑色に変わってしまいます。

 

新前橋止まり列車の高崎直通を

吾妻線は全列車高崎方面に乗り入れますが、約3分の1の列車は新前橋止まりです。

新前橋に車両基地があるとはいえ、高崎側から見ると、高崎-新前橋を両毛線列車に乗り、新前橋で始発の吾妻線列車に乗り換えるのは不便です。

上越線の恥部列車も同様で、新前橋始発・終着列車は高崎までの設定が望まれます。

 

信越線横川、八高線川越線は次回とさせていただきます。

何卒、懲りずにお付き合いください。

 

(※ 筆記にあたり、吾妻線各駅の情報についてWikipediaを参考にさせていただきました。)