今回はクラシック音楽の話です。
暑い夏から秋を飛び越していきなり冬がきたような寒さを感じる日もありますが、秋は紅葉などの楽しみもあります。
さて、筆者は秋というとまず、ブラームスを思い浮かべます。
秋といっても紅葉の方ではなく、秋の孤独感の方を感じる曲が多いからです。
今は秋、もうすぐ寒い冬がやってくるという感じの曲が全般に多いかと感じます。
といっても、筆者はブラームスの曲のうち、誰でも聴くような有名曲ばかり、種々の演奏比較をしながら繰り返し聴くタイプなので、知っている曲の数は少なく、なかなか増やすことができません。
先の時間も限られているので、鉄道以外では、ブラームスとベートーヴェンの、未聴曲が1曲でも多く聴ければ満足と思っています。
ブラームスの秋を感じる曲といえば、まず交響曲第3番第3楽章が浮かんできます。
映画やCMでも使われた有名な旋律です。
寂しさ、悲しさ、悲愴感、孤独感、虚しさ、やるせなさ、寒さ、哀愁といった言葉が浮かんできますが、重厚感はなくとも、自分から旋律を自然にハモりやすいのがブルックナー、マーラーと違うブラームスの魅力です。
ブラームスの曲はホルン、チェロ、クラリネット、オーボエなどに、特に哀愁を感じます。
交響曲第3番第3楽章もホルンがポイントです。
第3番以外では、第1番第1楽章の重厚感のあとに続く第2楽章を聴くと、重厚さを残しながらも孤独感が漂います。
第2番では、明るくのどかな第1・第3・第4楽章の中での第2楽章は、別世界の悲愴感が漂います。
第4番は、第3楽章が勇ましく鳴りますが、第1・第2楽章が連続で孤独感が漂う曲なので、空(から)元気のようにも聴こえてしまいます。
筆者は秋になると、とくに寒くなった日には、この4曲の交響曲のそれぞれ第2楽章だけを抜き出し(第3番だけは第3楽章)、順番に聴くことがあります。
孤独・哀愁の楽章の連続です。
邪道な聴き方かもしれませんが、まさに秋を感じます。
第1番の2→第2番の2→第3番の3→第4番の2の、各楽章順で、「ああ、秋だなぁ」と勝手に感傷に浸っているのです。
暗いねと言われようと、何度聴いても美しく感動してしまいます。
そして、秋といえばもう一つ、クラリネットの孤独な音色を思い出します。
ブラームスのクラリネット五重奏曲、モーツァルトのクラリネット協奏曲が横から入ってきます。
クラリネットの音色のうら寂しさが涙腺を弱くします。
ブラームスの曲が全般的に秋を感じる曲といっても、4曲それぞれ4楽章構成で、第1楽章から第4楽章まで聴いてみると、全体の印象は必ずしも秋とは言えません。
ここで4曲の交響曲を無理やり、4つの季節に当てはめてみます。
全体として重厚な第1番は春。
明るい、元気な第2番は夏。
第3楽章の哀愁が印象的な第3番は秋。
第1・第2楽章に連続する孤独感の第4番は冬。
ゆえに、11月は第3楽章を中心とした第3番をハモることが多くなります。
ただ、ブラームス交響曲の第2楽章ばかり浸っていると、拙鉄道ブログ原稿なんかやめれば、という気持ちになってきて困ることがあります。
そのため、2楽章部分だけで終わらせず、各4曲の第4楽章を聴きなおします。
そうすると元気、やる気が出て、原稿を書く気合いが出てきます。
音楽の力とは不思議なものです。
失礼な言い方ですが、ブラームスが好きになったのは、ベートーヴェンやモーツァルトの曲の有名曲や話題性の中、ブラームスは交響曲以外の分野も含めて、そこから一歩下がったような、表面に出にくい、遠慮しているような曲の印象があり、筆者の判官贔屓傾向と一致しているからかもしれません。
交響曲、管弦楽曲、協奏曲、独奏曲(ソナタ)、室内楽曲、合唱曲など、なかなかこの2大作曲家から抜け出してブラームスに飛び込むには時間を要します。
ワーグナーなどとは正反対、対照的な作曲家人生や曲想の点でも、ブラームスを応援したくなります。
ブラームスに目覚め、深入りしていったのは50歳代で、それまでは交響曲、協奏曲、管弦楽曲、弦楽六重奏曲など、有名曲しか聴いてきませんでした。
曲の数としては20曲にも届きませんでした。
もっと早く飛び込んでいればと後悔もしますが、ブラームスは高齢になって味わいが分かってくる、深みのある作曲家と勝手に言い訳しています。
2025年の秋は例年より短そうですが、第2楽章→第4楽章の流れでブラームスに浸りながら秋を過ごしたいと思います。
