平行普通列車

常磐線と新京成に魅せられた者のブログです

京葉線 通勤時間帯の特急を通勤快速にしたらどうかという議論はないか?

京葉線通勤快速 他の路線に倣って通勤時間帯速達は特急方針の結果?

JR東日本から2024年1月16日付けで、「2024年3月ダイヤ改正内容の一部変更について」のニュースリリースがあり、朝時間帯の内房線外房線からの京葉線直通列車各 1 本を、各駅停車列車から快速に変更する異例の結果となりました。

しかしながら、通勤快速をはじめ、日中以外の快速全廃への不満により、沿線での満足は得られていません。

このうち通勤快速について、JR東日本千葉支社は特急化したかったのではないかと筆者は考えており、その点については2024年1月2日付けの拙「京葉線 JR東日本は通勤快速を特急化したかったか?」で触れさせていただきました。

 

京葉線の上り通勤快速2本の東京着時刻は8時26分と8時39分で、東京到着時刻としては理想的でした。

今回は、京葉線以外のJR東日本の各路線で、東京または新宿着8時30分前後の平日の速達列車ダイヤの状況について、路線別に見てみました。

 

埼京線、中央線以外は特急化の傾向

通勤快速タイプが運行されているのは埼京線と中央線の2路線に限られていました。

 

埼京線

埼京線は、新宿着7時33分から10時26分まで通勤快速が設定されており、理想的と言えます。

新宿着8時台と9時台に4本、7時台と10時台に2本の内訳です。

埼京線は終日、特急列車が走らない快速主体の路線です。

 

◆中央線

中央線は通勤特快がありますが、新宿着で7時42分・54分、9時01分・9時25分、東京着で7時56分、8時08分、9時14分・38分の状況で、新宿・東京とも8時30分前後の通勤特快、中央特快の設定はない状況です。

特急は「はちおうじ」が東京7時07分着と7時27分着の2本、「おうめ」が7時32分着の1本です。

甲府方面からの特急は「かいじ2号」が一番列車で新宿8時42分、東京8時57分着です。

新宿・東京8時30分基準で見ると「かいじ2号」が中央線の通勤特急の役目をしているダイヤです。

 

東海道線

通勤特急である「湘南」は、東京または新宿着7時20分から9時32分までの間に、東京着7本、新宿着3本の計10本があります。

東京着では、7時20分・35分・56分、8時13分・48分、9時16分・32分です。

新宿着では、7時44分、8時35分、9時00分です。

通勤快速、かつての「ホームライナー」を特急「湘南」にしているとも言えます。

 

高崎線東北線

高崎線は、特急「あかぎ」の上野着7時06分と7時37分着の2本、新宿着は9時07分着の1本です。

8時30分前後の上野着列車は、東北線と併せて普通列車に譲り、同じく新宿着列車は埼京線特別快速を優先したとも言えそうです。

なお、東北線には朝の通勤時の上り特急はありません。

 

常磐線

特急「ときわ」の上野着基準で7時06分・38分、8時01分・8時34分、9時04分着の順に続きます。

このうち8時34分着は「ひたち」で、水戸-上野間は土浦のみの停車です。

 

総武線

特急「しおさい」で東京着7時17分・8時00分、「成田エクスプレス」で8時52分着の順です。

この3列車は成田(NEXのみ)、佐倉、四街道、千葉にも停車します。

 

京葉線

わかしお」「さざなみ」で、現在は東京着7時08分、8時12分、8時48分、9時03分着の順となっています。

それが2024年3月ダイヤ改正後、6時57分、7時08分、8時12分、8時25分、8時48分、9時02分着に変わります。

現在の京葉線上り通勤快速の東京着8時26分と8時39分が、8時25分と8時48分着の特急に変わることになります。

 

うがった見方かもしれませんが、埼京線、中央線を除いては特急化している実績があること、特急化への不満もとくに出ていないので、京葉線も通勤快速を特急化しても大丈夫だろうという楽観的な見方はあったのではないでしょうか。

ただし「通勤快速を利用していた人で、蘇我か東京へ急ぐ人は特急」などと特急の話を持ち出すと快速問題がさらに混乱してしまうため、JR千葉支社自ら京葉線の通勤時間帯の特急のことには一切触れず、通勤快速の各駅停車化で説明を貫いているようにも感じます。

沿線も特急のことはさほど関知せず、現状の通勤快速、快速の復活に気が向いているようです。

加えて、蘇我-東京の所要時間で現在の通勤快速41分~42分が、同時間帯の新たな「わかしお4号」では46分と、逆に所要時間が延びている上での通勤快速の特急化(ただし、JR千葉支社はあくまで通勤快速の各駅停車化との認識)です。

通勤時の京葉線特急を通勤快速にすればよいという議論もあってよいのではないかと考えますが、いかがでしょうか。