平行普通列車

常磐線と新京成に魅せられた者のブログです

常磐線偕楽園駅と東海道線(旧)新垂井駅の類似性を見る

常磐線偕楽園駅を思うと東海道線(旧)新垂井駅が浮かんでくる共通点

昨日の「下り列車のみ停車の偕楽園駅 東京から日帰り列車比較」の続編です。

常磐線偕楽園駅を思い浮かべると以前、東海道線にあった新垂井駅を思い起こします。

下り列車だけが停まる専用駅という共通性です。

 

垂井駅の経緯

垂井駅は、岐阜県の大垣から関ヶ原に向けての下り線の、25‰の上り坂急勾配を避けるため、10‰の勾配に緩めて当時の蒸気機関車の補機をなくすための迂回線、通称新垂井線大垣-関ヶ原の間に設けられた駅でしたが、1986年11月1日に廃止されました。

大垣-垂井-関ヶ原の線は垂井線と通称されます。

 

下りのすべての特急・急行と貨物列車は新垂井線を経由し、普通列車は垂井線経由、垂井駅停車が基本でしたが、一部の下り普通列車は新垂井線経由で新垂井駅に停車していました。

垂井駅廃止直前の下り列車本数では、垂井駅28本、新垂井駅6本の状況だったということです。

 

垂井駅は元々あった垂井駅に対応したもので、両駅の距離は約3キロ離れていました。

大垣-垂井は8.1キロ、垂井-関ヶ原は5.7キロ、大垣-関ヶ原で合計13.8キロに対し、新垂井線の大垣-関ヶ原は2.9キロ長い16.7キロとされています。

垂井駅の営業期間中は、新垂井駅までの正式な距離でなく、垂井駅と同じ距離を充てていました。

垂井駅垂井駅と比べてやや関ヶ原側に寄っていました。

垂井駅廃止後、普通列車はすべて垂井駅に停車する形になりました。

 

新垂井線の光景

大垣を出た特急はやがて右側方向に進んで垂井経由の上下線と別れ、住宅地が途切れると田園や山林の光景に変わります。

2つのトンネルを抜けるうち、進行左側の窓から線路の架線柱を観察すると、電柱の横幅が拡大していき、以前は線路が敷いてあったこと、架線が引かれていたことを感じ取れます。

やがて左手に廃駅と分かるような長いホーム跡が見えると、そこが新垂井駅ホームです。

名古屋発の下り「しらさぎ」、大阪へ向かう「ひだ」、寝台特急サンライズ出雲・瀬戸」は今も新垂井線経由です。

新垂井線の最高速度120km/hに対し、下り垂井線は85km/h制限のため、特急は新垂井線経由となっています。

 

新垂井から大垣、関ヶ原から垂井へは迂回経路

垂井駅から大垣駅、岐阜方面へは、いったん関ケ原駅まで行き、垂井経由の上り列車に乗り換える必要がありました。

米原方面、関ケ原から新垂井駅へは、垂井駅を経由していったん大垣駅まで行き、新垂井経由の列車に乗り換える形になりました。

迂回乗車をしても、大垣-垂井または関ヶ原-垂井の運賃・切符で新垂井に降りられる措置が採られました。

 

偕楽園駅と新垂井駅の類似性とは

前記しましたが偕楽園と新垂井の2駅の共通性は、下り列車だけが停車する駅であることです。

偕楽園駅は上り線の線路は並行して敷かれていますが、ホームが設置されないまま現在に至ります。

また、梅の開花時期に合わせた土曜・休日以外は通過となり、偕楽園の鉄道アクセス便宜は図られていません。

その点は両毛線あしかがフラワーパーク駅と異なっています。

垂井駅の場合は、下り線だけの別線であり、上り線の線路はありません。

偕楽園駅は開設中、特急も停まりますが、新垂井駅は通年通過でした。

下り列車のみの停車という点だけは共通しました。

 

偕楽園駅への往復方法

東京方面から偕楽園駅へは、往路の下り列車では直接下車可能です。

帰路は東京とは反対方向の下り列車で水戸まで乗ってから、上り列車に乗り換え、逆方向に戻ります。

その際、進行右手に偕楽園下りホームを横目で見る形です。

 

いわき方面から偕楽園への、往路の上り列車は、水戸で降りずそのまま乗車し続け、偕楽園の下りホームを横目で見ながら通過し、赤塚に着いてから再び水戸方面列車に乗って先程、横目で見ていた偕楽園で降ります。

帰路は、水戸行きまたは勝田行き列車が多いですが、偕楽園駅から直通の形です。

 

垂井駅への往復方法

大垣から新垂井への下り方向は、新垂井駅経由の列車を選んで新垂井で下車します。

新垂井から大垣へは、上り列車が経由しないため、一旦逆方向の関ヶ原へ進み、垂井経由の上り列車に乗り換えます。

関ヶ原から垂井駅停車後、大垣に到着します。

 

関ヶ原から大垣へは、上り列車で垂井→大垣と進み、大垣から新垂井経由の列車に乗り換えます。

つまり、東京→偕楽園下車→偕楽園乗車→水戸→偕楽園通過→東京のルートが、大垣→新垂井下車→新垂井乗車→関ヶ原→垂井(新垂井と見立てる)→大垣の経路と似ているのです。

同様に、いわき→水戸→偕楽園通過→赤塚→偕楽園のルートが、関ヶ原→垂井(新垂井と見立てる)→大垣→新垂井のルートと似ています。

 

三角形の図形に例えれば頂点が偕楽園・新垂井駅

図形で言えば、三角形の頂点に偕楽園、新垂井があるようなイメージです。

三角形の底辺が赤塚-水戸、大垣-関ヶ原に相当します。

正確には、偕楽園駅は別線ではないので三角形ではありませんが、例えとしては理解はしやすいかと思います。

 

孤独さの類似性

偕楽園駅は、梅の満開時は賑わいますが、停車するのは土曜・休日の年間約15日程度にとどまる下り列車専用停車駅です。

日数からすると1年のうち約4%の停車率です。

駅周辺は偕楽園があるものの、駅があっても列車が停まらないことでは孤独さがあります。

あしかがフラワーパークのような通年停車にすると、バスやタクシーとの利害等が絡むのでしょうか。

バス運転手の全国人手不足が各地で聞こえる中、下り列車だけとはいえ、迂回乗車を承知の上で通年停車をすると、理解関係のほかに上りホーム設置に議論が飛躍するのを避けているのでしょうか。

水戸駅での営業利害もあるのでしょうか。

 

垂井駅は、廃止直前の1日6本だけの停車の中で、新垂井-垂井に連絡バスが設定されていたこともありました。

垂井駅はもともと乗降の多い駅ではなく、連絡バスは利用が限られていたようです。

 

垂井駅跡地の栄枯盛衰を思い起こしながら

2024年3月16日からの北陸新幹線敦賀開業があっても、敦賀連絡の「しらさぎ」の半数は名古屋発着、下り新垂井線経由が残るのは救いです。

新垂井の名残観察ができます。

しらさぎ」全列車が米原発着で打ち切られたら新垂井線に乗れなくなります。

大阪「ひだ」がありますが、2両編成ゆえ、先行きに厳しさも感じます。

下り「サンライズ出雲・瀬戸」で深夜2時前後の、左側の寝台確保による夜間観察だけでは辛いものがあります。

 

東京から北陸新幹線敦賀開業を兼ねた外周経路

北陸新幹線経由で東京から往復するなら、東京から名古屋方向に向かい、米原でなく名古屋から「しらさぎ」に乗ってほしいと思います。

逆コースの上野・大宮方面からの外周では新垂井線は果たせません。

新垂井線に特別な景色があるわけではありませんが、かつての戦国時代ならぬ線路の栄光時代を振り返れる貴重さがあると思います。

鉄道趣味的には、垂井線の線路強化による新垂井線迂回路の見直しはあまり想像したくなく、新垂井線経由の「しらさぎ」を大事に乗り続けたいものです。

 

(※ 記載にあたり、Wikipedia「新垂井駅」「垂井駅」「新垂井線」を参考にさせていただきました。)

 

※写真は本文と無関係です。