平行普通列車

常磐線と新京成に魅せられた者のブログです

新京成初富から同じ電車を2回見る地点と、ブラームス3番演奏会の話

新京成初富駅周辺からの電車光景と、クラシック演奏会の話です

ブラームス交響曲第3番演奏会を聴きに新京成初富駅まで乗りました。

この駅に近い建物から、鉄道好きには興味深い光景があります。

同じ地点から、新京成の同じ電車が2回見られることです。

以前、新京成の元山駅付近の道路上から左右に、同じ電車が踏切を渡る光景が見られる話を書きましたが、その初富版です。

新京成の線路は北初富-新鎌ヶ谷-初富で、直角の角度以上に曲がります。

その結果、新鎌ヶ谷付近から初富にかけて、90度以上の角度の内側付近に立つと、同じ電車を2回見る形になります。

初富駅に近いビルから上り松戸行き電車を見送って約3分後、次の新鎌ヶ谷駅に停車してから北初富駅に向かう際、同じ電車が遠方に再び見えます。

くぬぎ山-鎌ヶ谷大仏が2019年12月1日から高架線になったことによる産物で、地平の踏切時代には得られなかった光景です。

鎌ヶ谷-北初富の高架橋を遠方に見る時、手前の位置に東武野田線(新鎌ケ谷-鎌ケ谷間)の高架橋もあります。

なお、東武は鎌「ケ」谷、新京成と北総は鎌「ヶ」谷の字体となっており、市役所自体も建物上階にある表記と道路脇の石碑文字が異なります。

 

話は戻りますが、初富から新鎌ヶ谷-北初富の高架橋を見ると、隣の奥側に北総線の高架橋が並び、北総の電車も見えます。

同位置から初富駅の新鎌ヶ谷に行く電車を見ると北総の西白井方面高架橋の一部も見えます。  

視覚の点で、鋼製車体の方が見つけやすくなっています。

 

クラシック音楽余談1)ブラームス交響曲第3番を聴く

以下は、クラシック音楽コンサートの余談です。

ご了承ください。

 

初富付近での新京成東武野田線、北総の見学を終え、2024年4月28日(日)14時から開催の地元フィルハーモニック管弦楽団定期演奏会を聴きに行きました。

曲目はドヴォルザークの序曲「わが家」、ボロディンブラームスの、どちらも交響曲第3番の渋い?計3曲で、前2曲は初めて聴きました。

最後に、ブラームス第3番です。

地味なブラームスの曲で特に地味?ゆえか、ブラームス全4曲の中で聴く機会、演奏会で選ばれにくい曲で、今回よく選曲してくれたと思いました。

 

サガンの小説「ブラームスはお好き」を映画化した「さよならをもう一度」の主題曲として有名になった曲です。

哀愁、孤独感の漂う、寂しそうな旋律は、ブラームス人間性のイメージとしてはこの第3番に近いものがあり、ブラームスに関心を抱いていくほど第3番の渋さが親近感に変わります。

ブラームスが苦手、嫌いな人は作曲者の人と曲を暗い、硬い、重い、地味と評価しますが、その先入観で縁を持たないのはもったいない気がします。

派手な目立つ旋律のない渋さ、地味さが、聴き手側へのサービス精神を意識しない、曲本来の味わい深さ、重厚感にやがて変わっていくからです。

聴いてすぐに曲の良さが伝わる単刀直入型ではないので、若い時には魅力が分からないこともあります。

中高年層、晩年型向きの味わいの作曲家かもしれません。

 

列車への単なるこじつけ発想ですが、第3番第1楽章の冒頭部分、不謹慎な話ですが筆者は機関車の警笛、機関車ノッチ入れ、客車列車の力強い牽引を思い起こします。

第3楽章も夜行列車へのレクイエム、鎮魂歌にも聞こえてきます。

 

当日の気温は高く、会場は空調が利きすぎていたのか、薄着だった演奏者の一部の方が咳、くしゃみと戦っている光景も若干見られましたが演奏自体はきちんとしていて、演奏終了後のその人への大きな拍手も添えられていました。

 

クラシック音楽余談2)ブラームスと涙腺

筆者は演奏会でブラームスを聴くと目頭が熱くなることが多いので困ってしまう傾向にあります。

交響曲でいえばこの第3番3楽章のほか、第1番の2楽章、第4番の1~2楽章も、曲の哀愁に自分の情感が抑えきれません。

そして、映画「恋人たち」の主題曲で使われた弦楽六重奏曲第1番の第2楽章。

いささか大げさな表現ながら、この曲を聴いた後、自分はこんなにも涙もろかっただろうかと我に返ります。

最高傑作の一つとされるクラリネット五重奏曲を聴いては、拙原稿を書くことがむなしく、意味がないようにさえ感じてしまいます。

そのため、締めの曲として「ハイドンの主題による変奏曲」で元気を取り戻します。

今回の演奏会のアンコールがハンガリー舞曲第2番で締めたのは、ブラームスには暗い。重い曲ばかりではないんだよという面を伝える選曲かと感じます。

それも、有名な1・5・6番でなく、陰に隠れた2番を選んだのは興味深いことです。