電車で初詣に行く時にこだわる列車と、祈祷で頭に浮かぶ音楽の話です
新京成では新年から8805編成に「謹賀新年」のヘッドマークを掲げて走行しています。
8805編成の運転時刻に合わせながら初詣に行こうかと思いつつも、コロナ禍で自粛中ゆえ、参拝とは無関係に一部区間だけですが乗車しました。
ヘッドマークで新年気分になりましたが、車内はヘッドマーク宣伝等の、特別な掲示は見かけませんでした。
朝ラッシュ時のみの運用に充てることがあるのは残念です。
ヘッドマーク掲示の15日間だけは終日運用で走ってほしいものです。
初詣では例年、自分の行く先は京急沿線にあって、北総線「アクセス特急」経由で向かうのが楽しみでもありました。
乗る機会の少ない京急600形又は1000形で北総と京急の高速運転を体感しながら向かいたいのですが、都営浅草線5500形が主流です。
来年は初詣に行けるといいなと、もう来年の想像をするのは気が早すぎました。
ここで話は脇道にそれますが、初詣参拝で自分の頭の中に浮かんでくる曲があります。
お寺の祈祷での一連の流れがブラームスの交響曲第1番を思い起こさせるのです。
この曲はその後、重苦しく流れていった後、急に怒りが爆発したかのような荒々しさに変わります。
重厚感のある楽章が、正座して話を聞いている心境と合わさって、新年から気が引き締まる思いがしてきます。
次の、しんみりとした哀愁のある第2楽章で、正月の浮かれた気分は吹き飛びます。
この冒頭部分を重ね合わせると涙腺が動き出して困ることがあります。
第3楽章では現実に戻って安心した気分になります。
第4楽章もこれから何が始まるのか不安を抱く冒頭ですが、途中のホルンの独奏部で広大な大地にいるような、おおらかな気持ちになってきます。
そしてそのままメインの主題が出てきて急に元気になります。
元気な中にも神聖さ、神妙さがあります。
終わりの部分のティンパニがまたお寺の太鼓と重なります。
全楽章を聴くといろいろ波乱や辛い時もあるだろうけれど、頑張るしかないよという気分になります。
以前、ある人にブラームスの交響曲第1番は気難しいという話をしたら「想像力が貧困」と言われたことがあります。
この拙文を読んだら「全く成長していない。何で祈祷と曲を重ね合わせるのか。お寺にも曲にも失礼」と言われそうで、価値観が違うのですね。
話は戻りますが、お札を受けたら京急の快特、北総の特急で高速運転を体感して帰ります。
京急編成が来れば運がいいですが北総線特急は40分間隔なので、都営浅草線、京成の編成であってもわがままは言えません。
かといって青砥-新鎌ヶ谷停車の「スカイライナー」までは乗れません。
印旛日本医大から先の時速160km/hの誘惑に勝てないからです。
この2路線の特急高速運転の頑張りが元気をくれます。
都営線と京成押上線では一般速度なので、北総線120km/hで十分満足できます。
ちなみに京急線内が特急、北総線内が「普通」の列車では元気さは得られません。
初詣でも電車の高速運転の方が気になるのはいつもの習性です。
列車に乗っても音楽を聴いても全く大人になりきっていませんが、平穏に一年が過ぎればありがたいと思っています。