平行普通列車

常磐線と新京成に魅せられた者のブログです

東海道・山陽新幹線 もしも東京-博多がJR1社だったら夜行列車は誕生していたか?

JR1社がJR東海だったら?またはJR西日本だったら?どう対応が違ったか

乗りものニュース、2023年8月17日付け「あれば便利?『夜行新幹線』なぜ運行されないのか 過去に『本気で検討』も実現せず」を見ました。

1975年3月10日の山陽新幹線博多開業時、東京-博多を最短6時間56分、小郡(現:新山口)停車列車は7時間01分で結びました。

当時、新幹線夜行列車も研究され、夜行列車同士がすれ違う新大阪-岡山間の片側通行や駅構内のポイント増設、姫路での夜行新幹線用の待避線、寝台設備を備えた961形試作電車製造されたこと、また、夜行新幹線研究当時の新幹線の騒音や振動訴訟により沿線住民の理解を得ることが難しかった話など、興味深い内容です。

今回は、東京-博多の夜行新幹線について考えてみたいと思います。

 

JR東海の車両思想に追従するしかないJR西日本の立場

1987年4月1日に国鉄はJRに変わりました。

全国を6つの地域に分け、東海道・山陽新幹線東海道区間の東京-新大阪がJR東海、山陽区間の新大阪-博多がJR西日本の所管になりました。

並行する在来線は、東海道線東京-熱海がJR東日本、熱海-米原JR東海米原山陽線下関がJR西日本、下関-鹿児島線博多がJR九州で、新幹線の所管とは異なる区割りとなりました。

JR東海東海道区間の所管が在来線では熱海-米原であっても、新幹線は東京-新大阪の長い区間であることも加わって、東海道新幹線に一層の情熱を傾けたと感じます。

当時から東海道新幹線東京-新大阪の利用は高く、JR東海は輸送力増強、列車定員増加を主眼に、国鉄から引き継いだ0系と100系の食堂車を廃止しました。

100系食堂車の代替えとしてカフェテリアが登場しましたがその後ン車両には継がれず、JR東海は速度向上と座席定員増加を果たすべく、座席車のみの300系でその意思を出しました。

300系の座席定員1,232人の思想はN700系Sになった現在も基本的に引き継がれています。

JR西日本では2階建て4両の「グランドひかり」、時速300km/h運転の500系を登場させたもののJR東海が嫌い、最終的に東海道区間から除かれました。

東海道と山陽との利用者数の差は相当なものがあり、JR東海の多勢に対するJR西日本の無勢を感じさせます。

 

JR東海JR西日本の差

JR西日本には失礼な言い方ですが、極論すれば東海道区間は独立しても経営的にやっていけますが、山陽区間東海道とつながっていないと苦しい面があります。

一編成定員1,232人思想ゆえに、山陽区間では16両編成では輸送力過剰であっても、不満なら新大阪で列車が分割されるだけであり、固定編成概念を変えることはあり得ません。

JR西日本からすれば固定編成のほかに、せめて8両+8両の編成の東京乗り入れ列車を一部認め、1~8号車が東京-鹿児島中央直通、9~16号車は新大阪または博多で分割としたいところですが、JR東海の頑なな姿勢では相談もできません。

ましてや、JR西日本が新幹線東京-博多夜行列車にどの程度意欲があるか、実際のところは不明ですが、JR東海の前では夜行列車の話題など論外の空気を感じます。

そう思うと先般の、2023年8月16日の静岡県内での大雨でも、東海道区間の運転見合わせは理解できますが、山陽区間の運転見合わせは果たしてJR西日本の自主的な意思決定だったか、JR西日本JR東海の決定に従うしかなかったのではないかとも感じられますが、想定の域は出ません。

 

もしも東京-博多がJR東海だったら?

歴史に「もしも」は禁物ですが、想像の世界として、新幹線東京-博多がJR1社だったら新幹線夜行は誕生していたでしょうか。

仮に1社での経営で、それがJR東海だったとしたら、現状のままで夜行列車はないと思われます。

JR東海は座席定員の多い列車で本数を多く設定することが主眼です。

現在、形式はN700系だけであり、その改良型としてN700系A、N700系Sの計3種類があるだけです。

在来線でも、汎用型形式のみを所有すること、観光(行楽)車両を持たないこと、機関車、客車を持たないこと、列車自体を商品化PRしない姿勢も一貫しています。

東海道、中央線に大量投入している普通列車用315系もその象徴です。

在来線でさえ徹底しているので、ましてや新幹線で夜行新幹線編成を加えることは想像もつきません。

そのJR東海285系サンライズ出雲・瀬戸」の一部編成を所有しているのは意外で、285系の後継車が登場するか、登場したらJR東海は一部を持つのかが注目されます。

 

もしも東京-博多がJR西日本だったら?

新大阪でのJR東海JR西日本の分割は、JR西日本にとっては痛手になりました。

JR西日本JR東海に夜行列車その他、各種の相談を持ち掛けても門前払いされる感じがして気の毒に映ります。

 

しかし、もしも東京-博多がJR西日本だったら、夜行列車の可能性はあったかもしれないと思います。

列車に対する考え方がJR東海ほど一途、一筋でなく、柔軟性を感じるからです。

8両+8両の分割編成も走り、1日3往復程度は東京-鹿児島中央直通列車があったかなと感じます。

JR東日本も同じ意味で柔軟性はあり、東京駅での東北新幹線との線路も繋がり、将来は札幌-鹿児島中央の列島縦断列車もあったのではないかと夢を抱かせます。

現実を振り返ると札幌-鹿児島中央の間に東海道区間を受け持つJR東海があることが垣根になるイメージがぬぐえません。

 

当初の夢のような新大阪-岡山での単線走行での行き違いはなくてもよく、東京と博多を双方とも21時過ぎに出発し、23時台に新大阪に到着します。

新大阪ではホーム上で翌0時から6時まで滞泊し、翌朝6時以降に出発して博多、東京に8時台に到着するダイヤです。

そして、試作された961形に近い列車の実現です。

ただし車体重量の関係上、最高速度は240km/h程度にとどまると思われます。

編成が異なる、走行性能が異なる、列車定員は1,232人の10%程度の夜行列車など、JR東海は一笑に付すだけです。

しかし万が一、これをJR東海が受け入れたとしたならば、昼間の1,232席の座席車のまま夜行に充当するのが条件であり、落としどころだろうかとも思います。

せめてその程度の柔軟性はほしいと思います。

 

夜行なら新大阪-鹿児島中央、東京-札幌の方に可能性があるか?

当時の国鉄がもしも961形を登場させていたら、現在でも夜行継続をしていたかといえば、JR東海は打ち切ったと思われます。

むしろJR西日本は、JR九州に目を向け、新大阪-鹿児島中央で8両編成による九州新幹線直通の夜行新幹線を設定していたかと、勝手に想像を巡らせます。

その場合、博多で6時間の滞泊となり、下りは新大阪21時30分頃発、鹿児島中央7時40分頃着です。

上りは鹿児島中央22時頃発、新大阪8時40分頃着です。

 

東北新幹線に目を向ければ北海道新幹線札幌開業時に、新青森または新函館北斗滞泊で東京19時頃→札幌8時~9時着、上りは札幌20時頃→東京9時台着です。

 

架空のことをあれこれ想像を巡らせても仕方のないことですが、東京駅14番線と23番線で隣り合うN700系S編成とE5系を見ていると、東海道新幹線の神田側、東北新幹線の有楽町側で互いに切られている線路が、無言でJR東海の姿勢を語っているように映ります。

リニアが全線開通した頃には、天下の?JR東海も考え方がいくらか変わってくるかと希望的な観測をしながら、思想変化を見守りたいと思います。