踏切用の機器が歩道部分にはみ出たことによるものですが、将来は移設を
今回は、東武野田線(アーバンパークライン)新鎌ケ谷-六実にある踏切の話です。
その踏切を渡る道路は上下各1車線の車道があり、その両脇に歩道がある構造です。
歩道面積は、片側は一応のスペースがありますが、もう片方は歩行車用に線を引いただけの狭いスペースです。
歩道のうち、片側が一応のスペースがある方を歩いていると、踏切に差し掛かり、そこを渡ろうとすると、コンクリート塀に遮られ、車道にはみ出して歩くざるを得ず、危険を伴っています。
また、車の運転者側から見た場合ですが、コンクリート塀側の歩道を見ながら踏切を渡る際、歩行者がそこに差し掛かっていると、状況によっては踏切内でブレーキをかけざるを得ない時もあり、一挙に横断することができません。
踏切内でブレーキをかけることも危険なことです。
踏切の通行量は
東武野田線柏-船橋は日中、普通列車6往復、急行2往復で計8往復、これに急行2往復が加わり、毎時8往復のダイヤとなっています。
朝のラッシュ時は、普通列車が10往復になります。
踏切の通行量は、車は終日多いですが、日中の歩行者は比較的少ない状況ではあります。
出っ張り部分は踏切用の機器
この車道側への出っ張り部分は、踏切用の機器によるもので、踏切脇にこれを設置する余裕のスペースが確保できなかったため、歩道側にはみ出した形状になっています。
このコンクリート塀は前々からのもので、車道にはみ出した形状のまま現在に至っています。
最近はコンクリート塀のペンキ塗り直しが行われ、出っ張っていることで間接的に歩行者と車の運転者に注意を伝えています。
東武の複線化と新鎌ケ谷駅開設
現在、車の通行量はかなり多く、車の切れ目も少ない状況ですが、踏切設置当初は道路面積が狭く、また東武野田線の単線時代は問題がなかったのでした。
東武野田線新鎌ケ谷-六実の複線化は、1989年11月28日の、当時は新鎌ケ谷信号場として開設、部分複線化され、1999年11月28日に新鎌ケ谷信号場が駅になって、北総、新京成との接続が図られました。
なお、北総の新鎌ヶ駅は1991年3月31日、同じく新京成は1992年7月8日の開業でした。
余談ですが、東武新鎌ケ谷駅の開設が遅れたのは、同線の柏-船橋においては東京を志向していないため、従来まで船橋または柏から総武線、常磐線での東京通勤経路により定期収入があったものが、北総で新鎌ケ谷、新京成で松戸、新津田沼経由の切り替えによる収入減の懸念とも言われていました。
なお、北総と新京成は新鎌「ヶ」谷、鎌「ヶ」谷大仏ですが、東武は以前から鎌「ケ」谷駅だったことから、新鎌「ケ」谷になっています。
鎌ケ谷市の市名は「ヶ」でなく「ケ」の方です。
歩行者が少ないとはいえ、まったくいないわけではなく、付近には中学校もあります。
歩行者にとっては、今の形状のままでは危険です。
踏切内の歩道を渡り終わる時、車道に入り込む危険があります。
踏切用の機器の移設が難しいゆえに現状のままになっているのかもしれませんが、望ましい配置ではなく、将来的には線路内にスペースを生み出しての移設、歩道面積の通常スペース確保等が必要と感じます。
東武には今後の検討課題にして、将来的には改善していただくよう望みます。