平行普通列車

常磐線と新京成に魅せられた者のブログです

常磐線上野-取手の見どころ 独断偏見ベストテン 

常磐線上野-取手で、一般の人の視点とは異なった次元?での見どころ案内です

常磐線日暮里-岩沼全線の中で、首都圏の上野-取手間に絞った独断と偏見のベストテンです。

鉄道設備主体で、個人嗜好がかなり含まれますがご寛容ください。

 

1 緩行線の自動運転

JR東日本が首都圏の主要路線でワンマン運転を導入する計画の中で、常磐緩行線の綾瀬-取手では2025年3月のダイヤ改正時と同時にワンマン運転化されるとのことです。

そのため、綾瀬-取手の緩行線全駅のホームにホームドアが整備される計画です。

1年ほど先の話ではありますが、JR東日本首都圏でのワンマン運転は画期的な出来事です。

 

2 馬橋・新松戸・北小金の3方向からの南流山接続線

1973年4月1日に武蔵野線新松戸-府中本町が開業しました。

快速線で松戸から柏へ移動する際、馬橋で快速上下線の間に貨物列車待避線があり、それがそのまま下り快速線を乗り越えて南流山へ向かっていきます(武蔵野線馬橋支線)。

新松戸では武蔵野線の本線と交差し、武蔵野線の下をくぐり抜けます。

北小金では、南流山から来た貨物線が常磐快速線と合流します(武蔵野線北小金支線)。

3つの武蔵野線と連続して合流、分岐、交差する馬橋-新松戸-北小金の光景は、京葉線二俣新町武蔵野線武蔵浦和のデルタ線とはまた違う、貨物列車を配慮した立体交差が見どころです。

 

3 金町-松戸での快速線緩行線の入れ替わり

常磐快速線は、北千住-金町は南側(海側、東京湾側)、緩行線は北側(山側)を走りますが、江戸川を渡って千葉県に入るとともに、快速線の線路は下り勾配、緩行線は上り勾配となって、線路配置が入れ替わります。

入れ替わる理由として、東京メトロ千代田線の車両基地北綾瀬に造るため、緩行線は北側の方がよかったこと、快速線は金町での新金貨物線合流と、当初は北千住駅構内で常磐線東武線とが貨物列車でやり取りをしていたこともあって、快速線は南側が望ましかったと言えます。

一方、松戸-取手では、当時は馬橋と北柏の北側に貨物駅があったことや、馬橋から分岐する流鉄流山線では西武線車両から譲渡される際、西武池袋線から武蔵野線経由で馬橋到着後、流鉄流山線に引き継ぐには快速線が北側位置の方がよいこと、さらに、馬橋と北小金の両方向から武蔵野線南流山への貨物専用線を設けるにあたり、快速線が北側の方がよいこと等、多くの事情がありました。

 

4 三河島駅ホームで見る隅田川貨物線の貨物列車

三河島駅ホームに立つと、上下線の両方の外側に貨物線が敷かれています。

三河島ホームから日暮里方向を見ると、上り線脇の東北線貨物線が田端から急勾配で上ってきて常磐線と南千住の直前まで並行し、墨田川貨物駅方向に分かれます。

隅田川貨物駅からの東北線貨物列車も田端まで同じ線路を走ります。

田端-隅田川は、上下線共用の貨物専用の単線となっています。

三河島駅の下り線側にも貨物線がありますが、こちらは田端→三河島→北千住方向専用です。

その逆のコースは、南千住-三河島常磐上り線から隅田川貨物線に入る分岐線が造られています。

三河島駅ホームで隅田川貨物線の貨物列車を観察していると、とくに冬の東北線から来た貨物列車の機関車やコンテナ貨物の屋根に雪が残り、雪が解けたり、揺れで雪が落ちてくるのが風物です。

 

5 日暮里-三河島の急カーブ

常磐線はもともと田端が起点としており、田端-三河島はほぼ直線です。

1896年12月25日に田端-三河島を含め、土浦まで開業しました。

常磐線上野方面列車は田端でスイッチバックしてて上野に向かっていました。

その後、起点を田端から上野に変更しすることとなり、1905年4月1日に三河島-日暮里側の区間が完成し、三河島から日暮里へ直接入り込む線路を敷いた結果、急カーブになっています。

三河島駅ホームの日暮里側先端は、常磐快速15両編成がぎりぎりに停車して全60枚のドアが開きますが、日暮里側先端で列車を待つことはホーム幅が狭すぎて危険で、お勧めできません。

 

6 金町での新金線合流

総武線新小岩常磐線金町を結ぶ新金(しんきん)貨物線は、快速線が金町を通過する際、上下線に3本の線路を間に挟んで通過していきます。

武蔵野線開通前まで、貨物列車は隅田川、北千住方向から金町にやってきて機関車を逆向きに付け替え、新小岩へ向けて折り返していきました。

逆方向の、新小岩から金町を経由して墨田川方向に折り返す列車もあります。

さらに新金線は単線です。

金町→新小岩新小岩→金町の貨物列車と、機関車付け替え用の線路を考慮して快速上下線の間に3線の貨物線が今も残っています。

鹿島線鹿島神宮から鹿島臨海鉄道への貨物列車は今も新金線経由です。

今後、葛飾区を中心に新金線に旅客列車、LRTを走らせる計画がありますが、金町駅ではこの3線を使うことになるでしょうか。

 

7 綾瀬-亀有の下り緩行線の、北綾瀬支線乗り越え

1971年4月20日に、北千住-我孫子複々線化されました。

上野発着列車はすべて北千住-我孫子間は快速列車となり、各駅停車列車は同区間緩行線となって、地下鉄千代田線と相互乗り入れを行なうこととなりました。

北千住-綾瀬の緩行線は、千代田線の車両基地北綾瀬に設置したい関係から地下鉄側での建設となりました。

綾瀬駅での常磐線の線路は東西を走りますが、北綾瀬車両基地へは綾瀬から北側に分かれます。

綾瀬は高架駅ですが、北側に分かれる千代田線の線路は待避線を含めて3線あり、常磐緩行下り線はその3線の高架線の上をまたぎます。

一瞬のうちに通過してしまいますが、1971年走行開始当時の高架橋としては、かなり高い位置を超える、贅沢な?設備にも映りました。

 

8 ほとんど活用されない我孫子-取手の緩行線と天王台・取手の緩行線ホーム

常磐線綾瀬-取手の複々線化は当初、北千住-取手での快速停車駅を松戸と我孫子だけの計画でした。

通過していた柏の東武野田線接続による利用者増から、柏への追加停車が決まりました。

天王台については、当初の複々線開業が我孫子までだったため暫定的に快速が停車し、取手までの複々線開業後は緩行線電車のみの停車として、快速は通過に変更の計画でしたが、一度停車した快速を通過に変えるのは難しく、我孫子-取手の複々線は建設趣旨が薄れてしまいました。

1982年11月15日に緩行線が取手まで延伸されましたが、我孫子-取手の緩行線電車は平日朝夕に限られ、日中の運転は当初からありませんでした。

天王台の緩行線時刻表を見ると、下り取手行きは6時12分発から8時09分まで、17時53分から19時52分までの運行です。

上り千代田線直通電車は6時25分から8時22分まで、18時11分から20時21分までです。

いずれも朝は13往復、夜は11往復、1日計24往復です。

ちなみに天王台の上り快速線列車は1日118本です。

 

近年は同区間の土曜・休日の緩行線は終日運休となり、何のための複々線だったかと感じさせます。

そんな中でも、来春に計画される緩行線ワンマン運転に伴い、平日のみ数往復の天王台と取手の緩行線ホームにもホームドアが設置されます。

利用の多い快速線にまだホームドアがなく、ほとんど列車の来ない緩行線にホームドアの光景は皮肉にも映ります。

天王台-取手の長い利根川橋梁の緩行線設備も、列車が少ない分、もったいなく感じます。

 

9 15両編成の快速の脇を行く2両編成の流鉄流山線の哀愁

流鉄流山線馬橋駅のぽつんとしたホームから2両編成の電車に乗って発車を待つ際、その脇を轟音とともに15両編成の快速E231系E531系が通過していきます。

E657系特急、貨物列車も脇を通過します。

また、緩行線では10両編成のJR東日本E233系2000番台東京メトロ16000系小田急4000形が会社間の境界を越えてバラエティ豊かにやってきます。

常磐快速下り列車の武蔵野線の3線分岐とはまた異なる、流山線の武蔵野3線立体交差は哀愁を感じさせます。

 

10 快速電車の高速運転

1971年の複々線完成当時からE231系置き換えまでしばらくの間、快速電車は国鉄103系全盛時代が続きました。

パンタグラフのあるモハ103に乗ると、時速100km/hで飛ばすモーター音の轟音が車内に響き渡ります。

中央線快速の静かな?103系快速のモーター音とは別世界で、103系の新たな表情を見ました。

かなり無理をして走っているようにも聞こえましたが、モーター音とともに線路を刻む連続音の迫力は記憶に残ります。

同じ時代の電車でも、土浦方面の415系のモーター音は近郊形のせいか、幾分静かに感じますが、気のせいかもしれません。

筆者にとっては現在のE231系E531系の唸りは遥かに静かに感じます。

 

余談ですが、415系に交じって、以前走っていた機関車牽引の客車列車で、普通列車平行き(平は現在、いわき)が筆者にとってもっとも想い出深い列車で、拙ブログの題名にもさせていただいています。

 

以上、独断偏見の極みですが、常磐線をこんなふうに楽しんでいる者もいるのかと思っていただければ幸いです。

 

(※ 記載にあたり、Wikipediaを参考にさせていただきました。)