平行普通列車

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宮脇俊三「汽車旅12カ月」 北鹿島-鹿島神宮の乗車取扱いの悩みとは?

北鹿島(現:鹿島サッカースタジアム)-神栖-奥野谷浜の貨物線乗車は、国鉄旅客線全線乗車に含めるべきかどうかという悩み

2023年10月22日、第30回鹿嶋まつりに合わせて鹿島臨海鉄道鹿島サッカースタジアム(旧:北鹿島。以下、「鹿島スタ」)から鹿島臨港線神栖駅まで旅客列車が乗り入れました。

列車は2往復で、ダイヤは

鹿島スタ10:55発→神栖11:11着、11:21発→鹿島スタ11:37着と、

(同)14:20発→14:36着、14:46発→15:02着でした。

折り返しの神栖駅では下車は扱わず、そのまま鹿島スタ駅に戻っての往復乗車の企画でした。

同列車に乗車したかったものの都合で行けませんでしたが、この企画を見るうちに宮脇俊三氏の著書が思い浮かんできました。

 

当時は旅客営業していなかった鹿島線北鹿島-鹿島神宮に乗車すべきか、不要かという悩み

紀行作家、宮脇俊三氏の著書の中に「汽車旅12カ月」があります。

序章から始まり、1月から12月まで計12回の旅行記が展開し、最後に短い「あとがき」があります。

その中の、7月「みどりの窓口サロベツ原野」の章で、前半はすでに廃線となった北海道の札沼線・羽幌線、後半は鹿島臨海鉄道の話となります。

今回は、この7月の後半部分に出てくる鹿島臨海鉄道についての作者の悩みについて探ってみました。

 

「汽車旅12カ月」から一部を以下、引用させていただきます。

(以下引用)

私は国鉄の全線に乗ったと称する者であるけれど、それは旅客列車の走る区間のすべてに乗ったことがある、という意味であって、貨物専用の線区まで乗ったわけではない。

~中略~

鹿島臨海鉄道のように国鉄の貨物専用線に客車を乗り入れるなどというのは他にない。なかなか斬新で愉快な鉄道会社だが、国鉄全線完乗者たる私としては、いささか扱いに困る。

国鉄の全線に乗るということは、国鉄が旅客営業をしている区間の全部に乗るということである。とすると、北鹿島-鹿島神宮では国鉄は旅客営業をしていないのだから、乗らなくても構わない。しかし、私鉄とはいえ歴とした客車がその上を走っているのに、乗らずに済ますのもおかしい。おかしいと思うのなら乗ってしまえばよいが、それでは問題の解決にならない。

~中略~

けじめをつけずに北鹿島-鹿島神宮間に乗ってしまうと、全線完乗の基準である「旅客営業区間のすべてに乗る」が「旅客列車の走るすべての線路上を通る」に拡大される。

~中略~

とにかく乗ってはみたけれど、北鹿島-鹿島神宮間の取扱いについては、いまだに結論が出ない。

(以上引用)

 

上記引用部分の前段で、私鉄と国鉄の相互乗り入れ、私鉄から国鉄への一方的乗り入れについて触れており、それらは珍しいことではないとしていますが、いずれも客扱い区間への乗り入れだからでした。

鹿島臨海鉄道のように国鉄の貨物専用線に客車を乗り入れるというのは他にないということで、貨物専用線だから乗らなくてよいとはいえ、後ろ髪を引かれる氏の困惑が想像されます。

 

鹿島線鹿島臨海鉄道乗り入れの主な経過

ここで、鹿島臨港線乗り入れを中心に旅客列車経過を見てみます。

〇 1970年8月20日鹿島線香取- 鹿島神宮開業 

〇 1970年11月12日:鹿島線鹿島神宮-北鹿島(現:鹿島サッカースタジアム)が貨物線として開業

〇 1978年7月25日:鹿島神宮-北鹿島で旅客営業開始(ただし北鹿島は旅客扱いせず)

鹿島神宮-北鹿島-神栖-奥野谷浜の全19.2kmの区間で、3往復が鹿島臨海鉄道車両により旅客列車運転開始

〇 1983年12月1日:鹿島臨海鉄道鹿島臨港線北鹿島-奥野谷浜の旅客営業廃止。

鹿島神宮-奥野谷浜の旅客列車を廃止

〇 1985年3月14日:鹿島臨海鉄道水戸-北鹿島開業、鹿島神宮まで旅客列車が運用開始

〇 1994年3月12日:北鹿島を鹿島サッカースタジアムに改称

サッカー試合日の鹿島臨海鉄道一部列車に限り同駅停車し、旅客営業

 

結論は「乗るべき」

「汽車旅12カ月」が発刊された1979(昭和54)年を思い起こすと、発売当日に書籍を購入後、随所に印象が残る中で、国鉄全線完乗者として北鹿島-鹿島神宮の取扱いに悩む個所に共感していました。

まさに「おかしいと思うのなら乗ってしまえばよいが、それでは問題の解決にならない」と思いました。

現在の現在の鹿島臨海鉄道大洗鹿島線のように、鹿島神宮から水戸への直通運転で、北鹿島(現:鹿島サッカースタジアム)駅が設置された状況ならば、サッカー試合開催に合わせた同駅の営業日に乗車して下車を果たし、その先の水戸方面乗車は省略して再び鹿島神宮へ戻れば悩みは解決していたと思われます。

 

その後、時間の経過の中で、自分なりに出した結論は「乗るべき」でした。

理由は以下のとおりです。

鹿島臨海鉄道臨港線側から見ると、奥野谷浜から神栖を経由し、北鹿島までの自社路線を走行後、国鉄線に乗り入れて鹿島神宮まで行き、その後折り返して奥野谷浜まで戻る列車運行の形となります。

一方、当時の国鉄側の立場から見ると、鹿島臨港線列車が北鹿島-鹿島神宮国鉄線上に乗り入れてくることに伴い、北鹿島に旅客駅がなく、鹿島臨港線神栖、鹿島港南方面直通の利用者を対象とはするものの、北鹿島-鹿島神宮では国鉄として旅客営業を行なうと解釈します。

すなわち、「北鹿島-鹿島神宮では国鉄は旅客営業をしていないのだから」という点は、北鹿島では下車できないが鹿島臨港線直通という前提ながらも、国鉄は北鹿島-鹿島神宮で旅客営業をしている形と認識します。

従って北鹿島-鹿島神宮は乗るべきと考えます。

氏としては、国鉄線たる北鹿島-鹿島神宮乗車に際し、鹿島臨海鉄道の乗り入れ車両に乗車することで、違和感が増したのではないかと想像します。

これが仮に国鉄の車両で、鹿島神宮から奥野谷浜を往復する形だったならば、違和感は減っていたのではないかとも思います。

 

「旅客営業区間のすべてに乗る」が「旅客列車の走るすべての線路上を通る」に拡大されるのは飛躍し過ぎ?

本文中で、上野-日暮里が「一区間」でなく「一〇本の線路」になり、二〇番線まである上野駅は「一駅」でなく「二〇の番線になってしまう」と書かれた箇所も見られますが、さすがに飛躍しすぎではないかと思います。

日本全国、全部の番線、渡り線を含めた全部の旅客列車の線路を乗らなければならないとまで考えると際限がなくなります。

そこまで厳粛に定義すると全線完乗は不可能になってきます。

たとえば上野-日暮里で、高架ホームに乗るか、地平ホームに乗るか、両方とも乗るかは乗る人自身のこだわり、自分なりの取り決め、ルールによります。

 

「汽車旅12カ月」での氏のユーモアとは

以下は余談です。

自分は宮脇俊三氏のファンで、鉄道への思いを後押ししてくれた貴重な存在です。

今でも時折、文面は分かっていても同氏の書籍を読み返します。

理由は随所にさりげなく出てくるユーモアにあります。

 

今回の「汽車旅12か月」の7月、鹿島臨海鉄道の中からユーモアの一部分を紹介させていただきたいと思います。

一つは、鹿島港南駅で鹿島神宮行き列車を待つ四人のうち、土地の人は二人で、あとは鉄道ファンと宮脇氏だったことについて、「まともな乗客が二人、そうでないのが二人という割合である」との箇所。

もう一つは、1両の旅客車両が行ったり来たりするだけの線で閉塞区間にする必要があるのかを車掌に聞いたところ、「貨物が走ってますから」との答えに対し「お粗末なことを訊ねたものである。気が遠くなるような暑い暑い日であった」との気恥ずかしがりつつ、陽気の話題に変えようとする照れ?の箇所です。

 

自分自身のこだわり定義は

余計なことですが、自分自身の路線走破のこだわり定義について、ここで触れさせていただきたいと思います。

上下別線複線で、反対側の線路が見えない区間だけは、別々に乗ります。

夜行列車、夜間の列車は不可で、日中の車窓風景を見ることを前提とします。

各駅停車列車の乗車を理想としますが、接続列車との時間等の都合によっては特急・急行・快速も可とします。

10分以内程度の仮眠で、特別に車窓の優れた区間以外では許容範囲とします。

 

以上、自分のこだわり乗車、路線走破論で今回の内容は終点とします。

 

(※ 記載にあたり、潮出版社「汽車旅12カ月」を参考にさせていただきました。)

 

※写真は本文と無関係です。