平行普通列車

常磐線と新京成に魅せられた者のブログです

「サライ」の曲で思い浮かぶ「動き始めた汽車の窓辺」の光景

普通列車が機関車牽引の客車列車だった頃の思い出話です

2024年8月31日から9月1日にかけての24時間テレビ番組を毎年見る都度、テーマソング「サライ」が流れてきます。

スポンサーとなっているスーパー店舗でも同様です。

サライ」の歌詞の中に出てくる「動き始めた汽車の窓辺を 流れてゆく景色だけを じっと見ていた」の「汽車」の歌詞が耳に入ると、とくにその部分い引き込まれる習性が筆者にはあります。

「動き始めた汽車の窓辺」を聴く都度、機関車の牽く客車の普通列車、とくに首都圏で思い入れのあった東北線常磐線の客車普通列車が思い浮かんできます。

長距離の夜行客車列車特有の孤独感も懐かしい思い出です。

 

客車列車の風物詩

客車普通列車の停車駅ごとに繰り返す出発合図の豪快な警笛、力強い牽引時の揺れ、最前部の車両から最後部の車両へと順番に伝わっていく出発時間の微妙な差、走行を開始した直後にデッキドアから飛び乗る利用者、複線電化を活かしての高速運転、走行中でも開いているデッキドア、一番前の客車の貫通部分から見える機関車の生の姿や機関車モーターの唸り音、トンネル進入前や鉄橋を渡る前の警笛、列車トイレの真下に見える走行中の線路、様々な基地に所属する客車を寄せ集めた、各車両それぞれが個性的な客車車両など、いろいろ思い出します。

 

下り普通列車は、東北線では黒磯で直流電気機関車EF57・EF58と交流機関車ED75の交換、常磐線では水戸で交直流機関車駅EF80と交流機関車ED75の交換も風物でした。

新たな機関車が客車に連結する際は、最前部の客車には特有の揺れがあります。

 

旧型の客車列車は大井川鐵道津軽鉄道に残っているほか、50系・12系・14系が客車列車として各地で走行しているのは文化的財産です。

筆者に身近なところでは、小湊鐡道と、同線の飯給駅をはじめとする多くの駅が、かつての日中線と熱塩駅の思い出を蘇らせてくれています。

 

サライ」と、ある路線列車の光景

サライ」の歌詞全体から感じる汽車を取り巻いての印象として、筆者はなぜか、1984年まで磐越西線喜多方から分岐して熱塩まで北に向けて走っていた日中線が浮かんできます。

終点の熱塩駅から喜多方駅への上り列車が「サライ」と重なります。

1日3往復の運転ながら、全列車が客車列車の運行で、途中駅の会津村松、上三宮、会津加納の途中3駅停車後、終点の熱塩まで11.6キロを、機関車が2両の客車を牽きます。

終点の熱塩駅から喜多方へ戻っていく上り列車が「サライ」の歌詞と重なります。

「穏やかな春の陽射しが ゆれる小さな駅舎(えき)
~中略~
動き始めた 汽車の窓辺を 流れてゆく景色だけを じっと見ていた」

最後まで蒸気機関車ディーゼル機関車牽引の客車列車のみで運行された孤独な日中線のノスタルジーが日中線廃止から40年経った今も思い浮かびます。

 

サライ」を聴く楽しみとは

「汽車」が出てくる歌詞の曲はほかにも多くありますが、「サライ」はその中でも有数の名曲と思います。

歌唱でも、作曲の加山雄三弾厚作)氏の豪快さと、作詞の谷村新司氏の哀愁の対照さの、それぞれの持ち味があり、2人の声が同時に聴けるのも魅力を高めます。

毎年この時期、「動き始めた汽車」を想像しながら3番までの曲全体で励まされ、夢と希望を描き、元気になれる点でも貴重な存在です。