鈍行旅行録の最後で、高崎-横川-八高線-川越線-上野の内容です
2024年8月11日・12日の拙「青春18きっぷ吾妻・横川・八高・川越4路線鈍行旅行録」の最終3回目です。
吾妻線大前10時50分発新前橋行きで、新前橋から両毛線電車に接続し、高崎12時50分で定刻の到着でした。
このあと、高崎13時23分発横川行きで横川に向かいました。
途中、安中駅では南側にある東邦亜鉛安中製錬所の巨大な光景が目を引きます。
所要34分で横川に到着しました。
横川駅の栄枯盛衰
数ある駅の中でも、信越線横川駅ほど栄枯盛衰を感じる駅は中々ないでしょう。
北陸新幹線(当時は長野新幹線)長野開業と引き替えに、在来線横川-軽井沢はJR東日本が手放し、地元の引き受け手もないため廃止されました。
急勾配での機関車の併結運行という特殊事情がありましたが、群馬県と長野県に跨がっていることも一つの要因でした。
長野県は軽井沢-篠ノ井のしなの鉄道による線路継続が主眼であり、群馬県は高崎-横川がJR東日本所管となったので、新幹線の安中榛名駅設置に視点が向き、横川-軽井沢の鉄道存続については両県の協調で鉄道維持とはなりませんでした。
もしも両県境が軽井沢-中軽井沢側あるいは横川-松井田だったとしたら、あるいは残っていただろうかと空想します。
自力で碓氷峠の急勾配を走れる電車の研究開発は国鉄時代から行なわれており、EF63の力を借りなくても登り降りはできたのではないか、経費節減で上下線のどちらかを廃止して単線運転であっても、列車維持はできなかっただろうかと、碓氷峠の連絡バスやEF63形の運転体験光景を見る都度、希望的な観測をしてしまいます。
碓氷峠鉄道文化むらの展示車両を見る
鉄道博物館に行くと、どこの博物館であっても年甲斐もなく一挙に童心に返ります。
碓氷峠鉄道文化むらは、碓氷峠超えと鉄道との歴史を文化財として残し、EF63形とEF62形の電気機関車の展示場所としても最適です。
EF63形機関車運転体験コースは、ここの最大の企画です。
189系特急電車、EF15・30・58・59・60・65・70、どれも懐かしい機関車です。
その中に、筆者の思い入れが強い常磐線用のEF80形もあります。
古い話ですが、上野15時13分発の常磐線普通列車平行き(現在は「いわき」)は、EF80形交直両用電機機関車牽引の客車列車の一つですが、筆者を鉄道の虜にした思い出がよみがえってきます。
EF57形機関車による東北線客車列車の牽引とともに、乗れてよかったと思います。
キハ110系200番台の2両編成で、4人掛けと2人掛けのボックスシートの配置です。
座席数が少ないため、高崎発の時点で立っている乗客も多くいました。
高崎線と分かれて北藤岡に着く直前、高崎線下り列車と平面交差するため、高崎線上下線の間に中線があり、これは八高線上り列車の持ち味です。
丹荘駅では、1986年廃止の上武鉄道の跡地があるとのことですが、車内混雑と日除けカーテンで車窓を遮られたこともあり、確認できませんでした。
寄居駅では、秩父鉄道の上下の貨物列車行き違いがあり、秩父鉄道貨物輸送の活気を感じます。
秩父鉄道の電気機関車は直流で、両側にパンタグラフを備えますが片側だけの使用であり、他の私鉄にも同じ事例がありますが、交流電気機関車かと一瞬戸惑います。
八高線基準で、東上線寄居駅の線路配置を見ると、池袋は高崎側かと戸惑います。
竹沢-小川町では、東武東上線が右側から寄ってきて八高線と並走します。
この線路配置ならば東上線の池袋側方向の戸惑いはありません。
並行する東上線の架線柱を中間の座席から見ると、八高線も電化されたかと錯覚します。
小川町を出て明覚に向かう急勾配地点の頃から空模様が怪しくなってきて、雲が白色から黒色に変わりました。
豪雨がくるのかと嫌な予感がしてきます。
遠方から雷の音が聞こえてきます。
八高線は越生-毛呂でも東武越生線と並走し、中間車から見ると小川町での東上線の架線柱と同じく、八高線にも架線があるのかと一瞬、思ってしまいました。
八高線列車は高麗川に定刻17時15分に到着しましたが、到着の10分前頃から雨が少し降り出してきました。
大雨にはなっていませんが、雷の音と空の色の急変には迫力が出てきました。
高麗川発車後、雷と豪雨に見舞われる
発車時点で強い雨が降り出し、運転を見合わせるかどうかというところでしたが、意外にも豪雨でも高速で走り続けました。
笠幡、的場付近になると一層豪雨となりましたが、徐行運転で何とか電車は進んで行きました。
川越には4分遅れの17時47分着でした。
通常は川越17時43分着で、17時45分発通勤快速新木場行きに接続しますが、本日は4分遅れて17時47分着になり、45分発通勤快速は定刻に発車していました。
そのため川越18時05分発通勤快速まで待つことになりましたが、川越駅ホームではかなり強い雨になり、埼京線から無事に折り返し列車は来るのか、不安でもありました。
川越にいると、もしも川越線が止まっても東武東上線、西武新宿線もあると高を括りますが実態は逆で、大手私鉄2路線の方が線路に水が浸かって、運転を見合わせたようです。
川越18時05分発通勤快速は途中、徐行はしながらも大宮に着き、安堵感が高まりました。
大雨でも高架線を高速で飛ばす埼京線通勤快速の頼もしさ
ここで大宮から上野に向かう際、通常なら東北・高崎線普通列車になりますが、大宮での乗り換え距離が長いことと、豪雨時は線路に冠水の心配がない高架橋を行く埼京線で赤羽まで行く方が賢明と判断しました。
実際、大雨も何のその、大宮から赤羽まで通勤快速の本領を発揮して豪雨をものともせず豪快に走り抜け、頼もしさを感じました。
埼京線には「最強」の意味が込められているのも道理と感じました。
赤羽からは京浜東北線電車が時間調整で停車していましたが、乗り換えとほぼ同時に発車しました。
後で知ったことですが、高麗川をもう少し遅れて出ていたら、埼京線と川越線の直通運転が中止されていた時間帯のようで、上野着はかなり遅れた可能性がありました。
今回の旅行記は以上ですが、3回に分けての長い文章のわりに回りくどく、話が脇道に逸れ、肝心の内容が薄いのは毎回のことです。
今回も自戒、反省しつつ、長文にお付き合いいただいたことに感謝する次第です。
ありがとうございました。