帝国ホテル列車食堂・都ホテル列車食堂・ビュフェとうきょう・日本食堂の新幹線食堂車ハシゴ飲食の思い出話です
1975年3月、 山陽新幹線の博多開業により、東京-博多間が0系「ひかり」で最速6時間56分で結ばれました。
0系「ひかり」の全編成8号車が食堂車となり、食堂車の楽しみ、「ひかり」に乗る楽しみが一挙に増えました。
博多速達「ひかり」の停車駅は名古屋、京都、新大阪、岡山、広島、小倉の6駅のみでした。
一部の列車は小郡(現:新山口)にも停車し、その場合は所要7時間01分でした。
また、東京-新大阪は名古屋、京都のみの停車ですが、新大阪-博多は主要駅のみの停車または各駅停車になる「ひかり」もありましたが、すべての「ひかり」で食堂車は営業されました。
当時、東京から広島・岡山・新大阪までの運転列車でも「ひかり」では食堂車を営業していました。
食堂車の営業は、日本食堂(時刻表表記は日食)、ビュフェとうきょう(BT)、帝国ホテル列車食堂(帝国)、都ホテル列車食堂(都)の4社となりました。
馴染みの日本食堂だけでなく、ビュフェとうきょう、帝国ホテル列車食堂、都ホテル列車食堂が加わったことで楽しみが増えました。
ビュフェとうきょうは、従来からの新幹線のビュフェ営業の延長線のような印象でしたが、帝国ホテル、都ホテルは新鮮でした。
ホテル飲食では敷居が高く、ネクタイ着用でないと入れないような印象がありましたが、新幹線食堂車となれば普段着でも利用できそうなのが嬉しかった思いがありました。
東京-博多で4社の食堂車を体感、食事しながらの移動
東京-博多乗車の際、食堂車1社だけの食堂車体感では物足りず、せっかく4社営業ならば東京→博多乗車の際、東京→名古屋、名古屋→新大阪、新大阪→岡山、岡山→博多でハシゴして4社を一挙に体験するのが楽しみになりました。
岡山→博多の利用区間が長いのは、広島から先で利用者が少なくなっていく区間なので、早めに営業を終えてしまうのではないかとの心配があったため、広島→博多でなく岡山→博多の利用としていました。
博多→東京の場合は、名古屋を過ぎてまもなく営業終了という心配はなかったので、博多→広島、広島→岡山、岡山→京都、京都→東京の4区間に分けて利用していました。
とくに都ホテル列車食堂の営業列車は限られるため、都ホテルの列車を基準に乗車計画を組みました。
都ホテルに次いで、帝国ホテルとビュフェとうきょうの列車も限られましたが、東京-岡山の列車にも受け持ちがあったのが計画上の救いになりました。
東京→博多の食堂車の乗り分け
東京から博多へ行く時は、東京毎時00分発の博多速達列車で、東京8:00発は日本食堂、9:00発はビュフェ東京、10:00発が都ホテル、11:00発が帝国ホテルの列車でした。
名古屋、新大阪、岡山で上記列車を乗り継いで、東京8:00「日本食堂」→名古屋10:01発、11:03発「ビュフェとうきょう」→新大阪12:10着、13:12発「都ホテル列車食堂」→岡山14:10着、15:12発「都ホテル列車食堂」→博多17:56着で、東京から所要9時間56分をかけての移動です。
博多→東京の食堂車の乗り分け
博多→東京の帰路では、博多8:19発「日本食堂」→広島10:10着、10:46発「帝国ホテル」→新大阪12:56着、13:58発「ビュフェとうきょう」→名古屋15:05着、15:19発「都ホテル」→東京17:20着で、9時間01分の移動時間でした。
これらで1日3食分を食堂車で賄いました。
東京-新大阪の東海道区間での往復では、帝国ホテルまたは都ホテルの営業列車に合わせた旅行計画を立てていました。
帝国ホテル列車食堂の従業員の人たちは、東京・新大阪・岡山・博多での始発列車入線の際、線路に沿って横一列に並んで運転士に全員で礼をする姿が思い出されます。
0系食堂車全盛期のよき時代
0系「ひかり」の全編成に食堂車連結は、輸送力本位の現在では考えられない思い切った策で、イベント編成、団体用編成ならともかく、日常の新幹線列車の「ひかり」全編成への食堂車組み込みは感謝・感激しました。
「ひかり」に自由席が設けられていたことは筆者にとって大きな救いでした。
これが全車指定席だったら、このような乗り継ぎをみどりの窓口の人にお願いして理解され、指定券4枚を発券することは無理だろう、無理でなくても手間がかかり、後ろで待つ人に迷惑がられ、嫌がられただろうと思います。
新幹線は列車乗り継ぎをしても通しの特急料金が適用されましたが、乗り継ぐ回数は常識的に1回、2列車までであり、4列車も乗り継いでどうするのと聞かれた際、「食堂車で4社の味比べをしたいから」といっても到底理解される次元ではありません。
食堂車のほか、当時はみどりの窓口で「ひかり&ホテル」という、指定券とホテル宿泊券を同時に購入できるシステムがあり、これも重宝しました。
0系食堂車に続いて登場した国鉄最後の新製食堂車100系2階建て車、JR西日本の2階建て4両連結「グランドひかり」の食堂車もよかったですが、JR東海はカフェテリア方式になった頃から食堂車に陰りを感じました。
JTB時刻表復刻版1978年10月号を見ながら、新幹線食堂車全盛時代に存分に楽しませてもらってありがとうと、よき思い出を振り返りました。