小湊鉄道、篠ノ井線、上越新幹線などで浮かんでくる列車旅のバックアップ曲の話です
鉄道旅行で列車が出発すると、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」が頭の中に流れてきます。
田園交響曲(以下「田園」)の演奏会があると行きたくなってきます。
先般、2024年10月13日、京成船橋駅近くの千葉県船橋市民文化ホールで行なわれた田園の演奏会に行きました。
船橋ピアチェーレ・オーケストラの第11回定期演奏会で、指揮は松川智哉氏でした。
田園の曲の前に、オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」序曲、モーツァルトの歌劇「魔笛」序曲、ドヴォルザークの「謝肉祭」序曲がありました。
「天国と地獄」はお菓子のCMにも使われる有名曲ですが、明るく楽しい曲はこちらも気分が晴れやかになってきます。
「魔笛」はモーツァルトの最高傑作という人も多くいますが、恥ずかしながら筆者は序曲と一部の有名な部分しか旋律が浮かんでこない程度のレベルしかありません。
「謝肉祭」序曲も元気が出る曲です。
休憩後、「田園」の演奏に入りました。
パンフレットには、第1楽章「田舎に到着したときの愉快な感情の目覚め」、第2楽章「小川のほとりの情景」、第3楽章「田舎の人々の楽しい集い」、第4楽章「雷雨、嵐」、第5楽章「牧歌 嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち」の説明が記されています。
「田園」の列車旅
「田園」の第1楽章は、列車旅の出発に相応しく、旅に出る嬉しさを盛り上げます。
新幹線から鈍行列車まで、どの列車に乗っても共通の、出発時と同じ、楽しい気分にさせてくれます。
第2楽章は、穏やかな曲で癒されます。
筆者には小湊鉄道の車窓、車内情景が浮かんできます。
かなり前の話ですがかつては、北海道に多くあったローカル線で深名線、天北線、湧網線、標津線、士幌線、白糠線、広尾線などの廃止路線ののどかな光景が、この2楽章を聴くと今も浮かんできます。
第3楽章から第5楽章は切れ目がなく演奏されます。
第3楽章も楽しい気分になる曲です。
第4楽章「雷雨、嵐」は副題のとおり、雷雨・嵐を音楽で表現したものです。
「雷雨、嵐」を表現した曲は他にも多くありますが、「田園」はその筆頭と思います。
第5楽章は晴れやかな気分になる天国的な曲で、とくに第2変奏の部分は感動的です。
時折り、ベートーヴェン交響曲全集での聴き比べをしますが、一番の楽しみは「田園」第5楽章第2変奏でどのように気持ちが晴れやかになれるかの度合いです。
「田園」の曲の存在意義評価の意外な低さ?
「田園」はベートーヴェンの全9曲の中で、もっとも多く聴いている曲ですが、他の作曲家や邦楽、洋楽等を含めても最多の、最大の愛好曲です。
ちなみにベートーヴェンの交響曲全9曲で、聴いてきた回数の多い順として、6番「田園」>5番「運命」>4番>3番「英雄」>8番>9番「合唱」>2番>1番>7番、となっています。
年齢や気分により変わっていくかもしれませんが、田園を聴いて60年、飽きないのは自分の元気づけにもなってくれている、かけがえのない存在からです。
音楽評論家や一部演奏家の文章、話を見聞きすると、「田園」は自然描写だけで感情表現がない、つまらない、退屈、どこがよいのかわからないといった箇所を目にすることが案外多くありました。
ヴィヴァルディの「四季」と同一レベル程度と見る人もいました。
好みは人それぞれと改めて感じます。
少なくとも筆者にはブルックナー、マーラーよりもベートーヴェン、そしてブラームスの方が合いそうです。
田園の全5楽章を列車旅に例えると、篠ノ井線下り列車がまず浮かびます。
松本から西条までが第3楽章、西条から2,656mの冠着トンネルを走行するまでが第4楽章、トンネルの後の善光寺平の眺望、稲荷山駅に下るまでが第5楽章です。
上越線下り列車で東京→新潟に向かう時も「田園」を頭の中で歌っています。
東京を出た時が1楽章、大宮までの130km/h徐行運転が2楽章、大宮から上毛高原手前の中山トンネル進入前までが3楽章、中山トンネル・大清水トンネルを筆頭に、上毛高原-長岡のトンネル区間が4楽章、長岡からの見晴らしのよい高架区間が5楽章です。
勝手にこじつければどうにでもなるわけですが、筆者は勝手にそう思い描いています。
演奏会の感想
今日も「田園」の感動をありがとうという、「喜ばしい感謝の気持ち」で一杯です。
オーボエ、フルート、クラリネット、ファゴット、ホルンの単独部分が聴きどころです。
田園を聴く都度、ホルンは難しい楽器だなと感じます。
今回の演奏会は、2020・2021年度の定期演奏会がコロナ禍の影響で中止になった経過があり、オーケストラ側にとっても「喜ばしい感謝の気持ち」だったかもしれません。
ところで、プログラムの「指揮者プロフィール」で、指揮者の紹介と写真はありますが氏名の記載がなく、プログラムを見ただけでは指揮者が誰なのか、わかりませんでした。
当オーケストラのホームページを見るとチラシがあって、氏名も掲載されています。
あえてプログラムに指揮者名を載せなかったことには、何かの考えがあったのでしょうか。